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【1型糖尿病のエアロビック競技 元世界王者】深夜22時までの猛練習、筋肉が張る高血糖を越えて…大村詠一さんが糖尿病の「偏見」に挑む理由

公開日: 2026年08月17日
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4歳でエアロビックを始め、8歳で1型糖尿病と診断された大村詠一さん。医師からは「激しい運動はあまりおすすめしない」と言われながら、エアロビック競技の世界チャンピオンにまで上りつめました。

血糖値のコントロールと向き合いながら、いかにして頂点を目指したのか。そして2016年、30歳での引退を決意させた、熊本地震での経験とは。競技人生を経た、現在の夢についても教えてもらいました。

「才能がない」と言われた僕が、1型糖尿病を経て競技の道へ

現役時代の大村さんの演技
現役時代の大村さんの演技

大村さんがエアロビックを始めたのは4歳のとき。インストラクターをしていた母の影響でした。

妹2人と一緒に、母が教える教室に通い、習い事の一つとして取り組んでいました。


「子ども心に、音楽に合わせて踊るのが楽しかったです。とはいえ、子どもの頃はあまり上手ではありませんでした。三兄妹のなかでは一番才能がないと言われていて。発表会でも人前で踊るのが恥ずかしいレベルで、人の影に隠れて一番後ろに配置されることもありました」


そんな大村さんが1型糖尿病と診断されたのは、小学2年生のとき、8歳の誕生日の翌日でした。

1型糖尿病は、血糖値の上昇をコントロールするインスリンがほとんど出なくなるため、毎日のインスリン注射が欠かせません。

特にスポーツをする上では、食事の後の高血糖や、運動後の低血糖との付き合い方が極めて重要になります。

医師は、大村さんがエアロビックに取り組んでいると聞き、「激しい運動はあまりおすすめしない」と言いました。

それでも大村さんは大好きなエアロビックを続けました。


「おすすめしないということはつまり、『やったらいけない』というわけではないんだなと(笑) 。先生の言葉を前向きにとらえたのを覚えています。練習を重ねて小学校高学年になると、表現力も評価されるようになってきました。アマチュアの試合でも思った以上に良い成績も残せたんです。そこで自信がついて、もっと本格的に取り組みたいと全日本選手権に挑戦することにしました

深夜まで続いた練習、血糖値との闘い。エアロビック競技への本格転向

2002年、ジュニア世界一になったときの1枚
2002年、ジュニア世界一になったときの1枚

一般的なエアロビックはフィットネス目的の有酸素運動なのに対し、エアロビック競技は技の難度や芸術性を採点で競う表現スポーツです。

大村さんは中学生になってから、全日本選手権などに出場するようになりました。平日の練習は深夜まで続き、眠るのは日付が変わってから。

休日は朝10時から夜22時まで体育館で練習後、さらにスタジオに移動して練習と、エアロビック一色の生活でした。


「今の現役選手たちは、もっと効率的に集中して練習するので、本当に時代が変わったと思います。当時は激しい運動による、血糖値の大きな変化に悩まされました。たとえば運動後は血糖値が下がり、フラフラになって動けなくなることもありました。本番前はアドレナリンが出ているのか、血糖値が上がるんです。症状は人によりますが、僕の場合は眠くなってトイレが近くなり、筋肉が張る、体の可動域が狭まるといった感覚がありました。毎日インスリンを注射するのですが、そのときの体調や血糖値を計測しながら、インスリンの量を調整していました」


やがて大村さんは「1型糖尿病患者のエアロビック競技選手」として注目されるようになります。病気のことを知ってもらいたいという思いで、テレビなどにも出演しました。

すると、取材してくれた人から「スポーツをするのであれば、今あなたが受けている治療方法は合わないと思う」と指摘され、福岡県の医師を紹介されたのです。


「紹介していただいた先生は、自身も1型糖尿病患者で最新の研究結果にもくわしい方でした。その先生に初めて会ったとき、『将来の夢は?』と聞かれたのが印象に残っています。これまで病院では、病気や治療方法についてばかりが話題になっていたんです。それが、初めて僕自身に向き合ってもらったような気がしました。僕は『世界チャンピオンになりたい』と伝えることができました


ずっと血糖値を上げ過ぎないよう、食事を工夫をしていた大村さんですが、アスリートに向いた体づくりを考え、食事の量を増やすことに。

さらに、栄養をきちんと体に送るため、インスリンの量も増やしたのです。転院したことで治療方針がガラリと変わり、世界で戦うためのフィジカルの強化ができるようになりました。

医師によるサポート、大村さん自身の努力のおかげで、15歳、16歳で世界チャンピオンになることができました。

これまで頑張ってきたことが評価され、達成感でいっぱいでした。

熊本地震がくれた気づき。競技から「誰かの役に立つ」生き方へ

インスリン注射は欠かせない
インスリン注射は欠かせない

その後も日本代表として活躍を続けますが、2016年、30歳のときに引退を決意します。

きっかけのひとつは、熊本地震を経験したことでした。

災害によって、インスリン注射や治療薬が手に入りにくいなどといった声を聞くなかで、自分にできることは何かと自問自答するようになったのです。


「もっと多くの人のために貢献できないかと考えました。当時、熊本地震があり、避難所で暮らす人もいました。避難所を回り、簡単にできるストレッチや体操などを教える活動をするなかで、次第に、自分の経験を誰かの役に立てたいと考えるようになったんです。たとえば、健康を意識したレシピを考えるとか、運動指導などは1型糖尿病患者であり、エアロビックの経験がある僕だからこそ、できることだと感じます。また、治療に必要な薬が足りなくなり、困っている人も少なくありませんでした。競技を引退して、少しでも力になりたいと思うようになったんです」


現在の大村さんは、エアロビックの指導、振り付けの提供、糖尿病に関する講演など、幅広く活躍しています。

活動に取り組むなかで実感したのは、糖尿病に対する偏見の強さでした。

糖尿病は大きく分けると1型糖尿病、2型糖尿病の2つの型があります。

子どもの頃に発症することが多く、自己免疫によって起こる1型糖尿病に対し、いわゆる「生活習慣病」と言われてしまう2型糖尿病は、日本では不摂生をしていた人がかかる病気と思われがちです。


「生活習慣病とは、もともと生活習慣に注目して予防や健康づくりを進めるための概念だったはずです。ところが、どういうわけか日本では「太っている人がなり、食べ過ぎや運動不足など、本人の不摂生だけが原因で発症する病気」というイメージを持たれることがあります。

でも実際のところ、日本の成人2型糖尿病患者の約6割はBMI25未満だった(※1)と言われています。BMI 25以上が肥満と言われる中、全体の半数以上はそうではないのです。自身が糖尿病であることを隠している人も少なくありません。

僕は1型、2型関係なく、糖尿病に関する偏見に向き合い、多くの人にこの病気について知ってもらいたいと思っています。誰でも、いつどんな病気にかかるかわかりません。病気に対する偏見をなくすことで、不安などを軽減できるのではないかと考えています。そのために、これまで僕が経験してきたことを伝え、誰もが安心して生活できる社会を作っていくのが目標です」


1型糖尿病とともに生き、世界チャンピオンにまで駆け上がった大村さん。

血糖コントロールと向き合い、練習を重ねた現役時代の経験は、誰もが生きやすい未来を築くための想いへと昇華されました。

「誰もがいつ病気になるかわからないからこそ、偏見をなくしたい」という大村さんの活動は、病気でもそうでなくても、誰もが安心して暮らせる優しい社会を作るための、確かな土台となっているように感じます。

<参考URL>
※1 https://pubmed.ncbi.nlm.nih.gov/33933501/


【プロフィール】大村詠一(おおむら えいいち)さん
おおむらえいいち。1986年生まれ。4歳でエアロビックを始め、8歳のとき、1型糖尿病と診断される。10歳で競技の世界へ進み、高1・高2で世界大会ユースの部2連覇。その後も日本代表選手としても活躍。現在は後進の育成や広報にも携わりながら、病気とともに歩んできた経験と競技生活で培った挑戦の力を活かして活動。
2023年より一般社団法人ピーペックに参画し、多様な立場と協働する中で社会課題に向き合う視点を広げてきた。その経験を礎に、当事者の声を社会に届ける糖尿病アドボカシーグループDicHub(ディックハブ)を設立、共同代表を務める。

・大村詠一さんの公式HP


<そのほかのインタビュー記事を読む>
▶小2で1型糖尿病と診断、高校生でエアロビック競技世界チャンピオンに。病気とともに歩んできた大村詠一の思いとは


取材・文:さいだ多恵
写真:大村詠一

※記事の内容は記載当時の情報であり、現在と異なる場合があります。

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